「世界史」

 
 久しぶりに「世界史」関連の本が読みたくなって、何冊かまとめて読んでみました。
高校2年生の時に世界史にはまって、他の教科そっちのけで、重箱の隅をつつくような
勉強をしたことがありました。いわゆる世界史オタクというやつで、一番やってはいけ
ない勉強のやり方をしたと今では思いますが、当時は数学の先生ともめてまで(注1)
のめり込んでいました。果ては、定期テスト前の土曜日に世界史の「授業」までする
(注2)ありさまでした。

 世界史のS先生というのが、白髪で英国紳士みたいな方で、お洒落で語り口も軽妙、
とても魅力的な先生で、最初の授業の時には、「世界史は嘘が多いから、都合のいいよ
うに作り替えられている」と言われ、いっぺんに虜になったことを覚えています。


 竹林七賢     武韋の禍     カノッサの屈辱

 都市の空気は自由にする     ボストン茶会事件


 魅力的な用語の連続で、毎回ワクワクしてとても幸福な時間を過ごしていました。カ
ノッサの屈辱!?何というネーミングセンスなの、と衝撃を受けたのは言うまでもありま
せんでした。

 今年は、しばらく世界史関連の本を読むことが続きそうな予感です。


(注1) 数学の先生に、「今回はテスト勉強しないから、赤点間違いなし」と軽口を叩
     いて、そのことが逆鱗に触れて職員会議で問題視されたこと。

(注2) 当初は7人だったのが膨れ上がって30人ほどになり、参加していたN君が世
     界史学年1位、教えていたほうが2位になった「伝説」の授業。


今回の書籍
『世界史の極意』              佐藤優   NHK出版書籍
『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』 中野京子  光文社新書
『青木裕司 世界史B講義の実況中継』 ↓   青木裕司  語学春秋社
『2時間でおさらいできる世界史』      祝田秀全  大和書房
『2時間でおさらいできる世界史 近現代篇』   祝田秀全  大和書房


 伸学アルファ 衣笠 木村
 育星舎 伸学アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら から
 
yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

自転車

京都で暮らし始めて十数年が過ぎた私の移動手段は、学生時代からもっぱら自転車です。
通勤はもちろん学校説明会、塾団体の勉強会、他教室での会議など雨が降っていない限りは自転車で
移動しています。

北野白梅町から京都駅までも30分かかることはありません(注:交通ルールは遵守しています)ので
たいていのところは自転車でなんなく行けるわけです。
先日説明会でお邪魔した北嵯峨高校までは、アップダウンが激しいのと道路が狭いためいささか苦戦しました。
さらに帰り道では雨が降ってきまして、「バスの方がよかったかも…」と少し後悔もしましたが。

個人的なメリットには、時間のロスが少ないこと、移動中のストレスがないことが挙げられます。
その場の気分で気になる道や寄りたいところに寄れるので、重宝しています。

京都は自転車のマナーが悪い、とお叱りも受けますが移動手段として頼りになる自転車をみなさんも安全に乗っていきましょう。

※ちなみに、兵庫県では自転車保険の加入を義務付ける方針のようです。


伸学アルファ衣笠 木村充志
育星舎 伸学会アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら から

 
yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

1914 2014

    1894
    1904
    1914
    1964

と数字を列挙してみました。末尾がすべて4。
勘のいい方ならおわかりでしょうが、上から順に

    日清戦争
    日露戦争
    第一次世界大戦
    東京オリンピック 東海道新幹線開通

今年は2014年ですから、1914年の第一次世界大戦から100年、東京オリンピックからは50年ということになります。
東海道新幹線開業50周年については先月、ニュースなどでも取り上げられていました。

上から3つ奇しくも戦争が並んでいます。

入試にでるから、歴史的な事実だから年号や内容を覚えることはもちろん大切で、生徒にとっては今すべきことです。
ですが、わずか100年ほどの間にたくさんの戦争があり、多くの犠牲があったと想像するのもまた必要だと思っています。

来年の2015年は終戦(1945年)から70年になります。
教科書に出てくる歴史的な出来事というのは、事件や事故、戦争が圧倒的に多いのだと今更ながら再確認した次第です。



伸学アルファ 衣笠 木村充志
育星舎 伸学会アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら から
 
yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

「京料理」考 6

 つい先日、ミシュランガイド関西2014が発売された。関西版は今年で5回目を数える。今回は京料理とミシュランについての回であったが、巷間で話題にのぼっている食の安全性について急遽、考えてみたい。

 食の安全性あるいは偽装表示に関する事件や事故は、これまでもたびたび報道されてきた。タケノコ、鰻などの産地偽装や中国製冷凍食品、生食レバーの事件などここ最近でもたびたび問題視されてきた。
 今回はホテルで、エビや豚肉、ネギなど表記と実際の産地が異なった商品を提供したことが明らかになっている。「誤表示」であったのか、「偽装」だったのか、あるいは「筆が滑った」のかをここで論じるつもりはない。ただ、食べ物を提供することは(ましてお金を支払っているのだから…)、味うんぬんの前に「口にしても大丈夫ですよ、問題ありませんよ」と担保するのが大前提になる。商売であるから、利潤を追求するのは当然である。高級食材を仕入れて、高額な料金を取って客を満足させるのも商売なら、安価な食材を使って職人の技でそれを美味しい料理にするのも商売である。値段の問題はひとまず置いておくとしても、たとえば、割烹でも居酒屋でも構わないが数名で料理をこしらえる店では、店主がすべての調理工程に関わり、なにがしかの手を加えてはじめて客の前にだされる。この人がつくった料理だからという安心や信用があるから、客は迷わず口に運ぶのである。清潔感のない料理人がつくった料理など、いくら美味しそうでも口に運ぶことすらためらわれる。もっといえば対面の商売では、料理をとおして客は店主その人を「食べる」くらいの感覚になって、その瞬間のすべてを委ねる。
 そう考えると、ホテルの調理場という閉鎖的な空間に今回の問題の遠因があるように思える。そこでは、料理人は客の「姿」を意識することが難しい状態になり、それが常態化して料理を出すのが「作業」に変わってしまうようになる。感覚が鈍るというよりも想像力が働きにくくなる。さらに最近のホテルでは(もちろん一部であると信じたいが…)、料理人が魚をさばくのではなく、業者があらかじめ指定のグラム数にカットして卸す場合もあるというから驚きである。こちらの感覚が古いのかもしれないし、ホテル側としたら業者任せの方が経費を削減できるとの反論もあるのかもしれないが、客に出せる確かなものかどうかは、自分でさばいてみてはじめてわかるのではないかと思う。

 浅薄なグルメ情報に惑わされることなく、安心で安全な食べ物を幸せに食べられることは意外に難しい世の中になってきているのだろうか考え込んでしまった。

次号へつづく

 
育星舎 伸学アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら
yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

「京料理」考 5

「京料理」考 5 

 これまで「京料理」と一口に言ってきたが、細かくみていくと京料理は次のように定義づけられてきた。
瓢亭の高橋英一氏は、『京料理は有職料理、精進料理、懐石料理、おばんざいが融合したものである』と定義している。宮中を中心とした有職料理、仏道修行と関連した精進料理、茶道の精神に由来する懐石料理、そして日常食であるおばんざいである。それらがかけ合わさって京料理はより奥深いものになっていった。いずれも長い間、都があった京都の歴史に沿ったかたちで発展してきたものであり、決して食材が豊かではない土地で創意工夫がもたらした賜物であろう。おもてなしの心を表現する知恵がそこには随所に感じられる。
 また、遊び心といった側面にも敏感で、今では当たり前となった板前割烹を取り入れることで京料理に新しい風が送り込まれた。客と食材の調理の仕方を相談し、眼の前で調理していく即興でのスタイルは真剣勝負であると同時に、客と調理人の遊び心を含んだものといえる。あたかも、落語やお芝居を観るかのようにそこでは、今宵限りしか味わうことのできない時間が流れていく。割烹が登場したことで、一人前の○鍋(すっぽん鍋)が生まれることになったのもおもしろい話である。
 さて、このように様々なものを取り入れて、複雑に深化した京料理に、料理版の黒船!?ともいえる「ミシュランガイド」の登場で、ひとつの評価がくだされることとなった。商品としての「味(料理)」に星を与えることは妥当であるのか。そのあたりを考えていきたい。
ご存知のとおり、ミシュランはフランスのタイヤメーカーである。ミシュラン社が出版する「ミシュランガイド」は、レストランを星で格付けするやり方で評価を下している。星の表す意味は次のようになる。

                1つ星:その分野で特に美味しい料理
                2つ星:極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理
                3つ星:それを味わうために旅行する価値がある卓越した料理
                                                                             (ミシュランガイドより)

 タイヤメーカーゆえ、自動車での旅を前提として星にこのような意味を持たせている。日本では、東京・横浜・鎌倉(湘南)、京都・大阪・神戸(奈良)版が出され、欧米諸国をしのぐ星を獲得し、日本食文化のレベルの高さを世界に知らしめることになった。東京は世界の食都であると広言するものまでいるほどである。「外国人に京料理の繊細さがわかるか」など、とかく批判に晒されがちなミシュランであるが、どう捉えたらよいものか。

次号へ続く


育星舎 伸学アルファ衣笠へのお問い合わせは こちらから             

yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

「京料理」考 4

「京料理」考 4 

 [薄味=善]という風潮に疑問を呈したところで、前回は終わっている。今回はおもに味についての考察をしていきたい。
 まず、4つの基本味である「酸味」「甘味」「塩味」「苦味」に「うま味」が加わり5味が味を構成する要素とされている。厄介なのは最後に加わった「うま味」であろう。アミノ酸系の一種であるグルタミン酸(植物由来)、核酸系の一種であるイノシン酸(動物由来)、グア二ル酸などがうま味成分としてあげられる。舌の「味らい」でそれらを感受することもわかっている。さらに、アミノ酸系と核酸系がかけ合わせられると「うま味の相乗効果」となることも知られているところである。昆布と鰹ぶしによる日本料理のだしはその代表例であり、最近では、ラーメンのWスープにもこの技法が取り入れられている。
 このように複雑な5味が重層的に、調和することで味はつくりあげられている。料理において単純に5味を重ねるだけではない証左に、日本料理、とりわけ京料理は味のひき算である、という言葉がある。西洋の料理がたし算の発想なのにたいして、日本料理は完成をイメージしたところからの逆算をする、つまり味をつけすぎないことを旨とする考えである。これは、「うま味(umami)」が東洋の料理において自然と導きだされ、進化させてきたためであり、味の構成の点で西洋のそれとは大きく異なるものである。
 しかし、日本料理がひき算かといわれるとすぐには賛同しかねる。むしろ、日本料理はかけ算なのではないだろうか。「うま味」に早くから気づき、相乗効果にまで深化させてきた歴史は、5味のかけ合わせを第一に考えて深化したと考える方が自然である。食材を組み合わせて味をつけていくというよりは、それぞれの食材の味をふくらませるのが日本料理の特長であるといえよう。
 薄味が善であるかの風潮は、健康志向、もっといえば健康至上主義を背景としたファッションである、と断じてみたい。減塩やカロリーオフにいたっては、5味のうちの塩味と甘味をそぎ落としただけのもので、うま味とはいっさい無関係の話である。さらに、薄味のほうが上品である、などと本気で思っているのなら、本当はしっかりとした味のものを食べたいのに、痩せ我慢しているだけではないかと疑ってしまう。何もいたずらに味を濃くしろと言っているのではない。大切なのは、料理をする側も食す側もうま味を受容する感性を養うことであり、そこを追求することで料理は文化たりうるのではないかと考える。

次号に続く

育星舎 伸学アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら  から

yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

「京料理」考 3

 「京料理」考 3

  「食」についてひとつの定義をすると、食べることは生命活動を維持するだけにとどまらず、各人および地域の集積という意味で文化であるとすることができる。英語のculture
も語源から、「耕す」「洗練されたもの」から派生したように、食と密接に結びついているといえる。その意味で、日本食を世界無形文化遺産化プロジェクトに進めていることは当然のことと考えられる。
 では、現在の京料理はどうなっているのか。日本食を代表するものとして京料理をみていくことにする。
 「京料理は薄味か?」―最初の回で最近の料理評論家達の論争を取り上げてみた。味に関していうのならば、京料理は決して薄味などではない。その答えを、海から遠く離れた京都の地理的特性によって、鮮魚が手に入りにくかった歴史に求めるわけではない。たしかに、地理的な要因を補うために先人達は努力を重ねてきた。たとえば唯一の鮮魚である鱧を骨切りという技術で見事な料理に仕上げ、京都の夏を代表するものとなった。料理人達はマイナス面を補うためだけに心血をそそいで、技術を向上させてきたのか。そうではないだろう。京都の料理人達は、常に新しい食材を探し、最善の調理法は何かを考え続けてきた努力のなかから数々の代表的なものを創作したのではないだろうか。現在でも、ある主人はカウンターにピザ焼き釜を設置しているし、フレンチや中華の手法(技法)を取り入れることをためらわない主人も大勢いる。邪道だと切り捨てるのは愚かなことで、京料理は、というより京都の料理人たちは未知なるものと対峙することを恐れず、常に変革を求めている。安っぽい変革(改革)に走ることはなく、伝統を省みるなかで保守すべきものは保守する姿勢も決して忘れることはない。
 食材、調味料の幅がさらに広がった今日、料理の味自体も変化して当然である。京料理はその変化を感じることにとりわけ敏感で、みずからもどんどん姿を変えていく。さきほど薄味などではないと断言したが、[薄味 = 善]であるかのように考えている昨今の常識!?に間違いの元があるのではないだろうか。

次号へ続く
育星舎伸学アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら から

yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

「京料理」考 2

 「京料理」考 2

 今年の正月明けの授業で、お雑煮を食べた人?と質問をしてみた。すると半数は食べたという回答が得られた。さらに、京風のいわゆる「白味噌」仕立ての雑煮となるとその半数となった。雑煮というのは、各地域の個性が際立つ典型的な郷土料理のひとつであることはいうまでもない。京都では、白味噌ベースで頭芋が入ったものが伝統的な雑煮となる。なぜ雑煮を持ち出したか。家庭で食べるもっとも伝統的な食べ物であり、正月は日本人にとって特別な意味を持つものである、と考えたからである。ほぼ100%家庭の手作りという点も重要である。
 正月においてもそうであるのなら、日常生活においては、たとえば鰊と茄子でもいいが、おばんざいを作って食べている家庭はどんどん減ってきているのではないだろうか。より簡素な、手軽な食品を口にする機会が増えているように思えてならない。家庭での料理は単に腹を満たすだけのものではないのである。親から子への味の継承と他の地域との味の融合という、時間軸からなる縦の糸と空間軸からなる横の糸とが複雑に絡まりあった文化そのものではない だろうか。
 京料理からは少しずれるが、伝統的な食文化に関して私の経験からひとつ取り上げてみたい。
 北海道から北陸にかけての郷土料理に「飯寿司」というのがある。乳酸発酵させて作るなれずし(鮨の原型)の一種で、鮭やハタハタ、ホッケなどの魚をキャベツ、大根、人参、生姜と一緒に漬け込むものである。我家では(その前はわからないが)曾祖母、祖母、母へと受け継いで、現在も年末年始の食卓に並んでいる。その飯寿司だが、いっとき祖父の事業の失敗から、精神的なダメージを受けた祖母が作ることを拒否して途絶えたことがあった。母が受け継ぐ前のことである。市販の品で我慢する年の瀬が10年ほど続いただろうか。あるとき思い切って祖母に、またあの味を復活させてもらえないかと頼んだことがあった。祖母にとっての飯寿司は、単なる料理にとどまらず様々なものを呼び起こすパンドラの箱のようなものだったのかもしれない。そう考えると申し訳ないのだが、孫の要望に応えてくれて復活し、母がその味を受け継いでいる。
 この経験からも、伝統的な食とはある意味、各人の生きてきた歴史そのものだと言える。過去から現在へ、そして未来へと営々と続く物語=文化そのものである。

次号へ続く


育星舎 伸学アルファ衣笠へのお問い合わせは こちら から

     

yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

「京料理」考 1

「京料理」考 1

農林水産省が、日本食文化の世界無形文化遺産化プロジェクトを進めていることはご存知だろうか。今年12月の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で登録の可否が決定することになっている。それに先立ち、京都府教育委員会は、3月5日に老舗料亭「瓢亭」の14代当主高橋英一氏を府指定無形文化財と決めた。

今回から、京料理について考えていきたいと思う。
「京料理は薄味か?」
最近、ネット上で某辛口料理評論家(←へんな日本語だが)同士が議論というか、互いを批判しあっている。料理の味つけが薄いか濃いか、全般的なことを問うているわけだが、そもそも「京料理」とはいったい何なのか。
 料亭や割烹といった料理屋で供されるものを「京料理」と総称しているのか。あるいは、京料理は地方料理、つまり郷土料理のひとつと考えるのであれば、一般家庭で食されているものまで指しているのか。もっというと、日本料理そのものを京料理と考えるべきなのか、「京料理」の定義すらはっきりとしない。

おそらく、先ほどの評論家は、[京料理=料理屋で供されるもの]を前提に論じているのであろう。北大路魯山人(陶芸家、書道家、美食家)は、『料理屋で出される料理ほどつまらぬものはない』と述べていた。そこに、感じられる作為を指しての言であろうと思う(魯山人自身も料理屋をやっていたのだが…)。しかし、作為は京料理を成立させる上で必要な要素である。なぜなら、料理屋は、単に食事を提供するだけではなく、しつらえ―建物、庭、器など―の他に客をもてなす接客を含めた、食を総合的にプロデュースするもの、と考えることができるからである。料理屋の主人と客は、舞台の役者と観客の関係に似ていなくもない。今宵一度きりの「芸」を、様々な舞台装置を駆使して演出していくところが共通している。季節感、食材を大切により単純(率直)に表現する、一期一会の真剣勝負の場が料理屋である。
では、京都の一般家庭で出される料理は「京料理」なのか。


次号へ続く

yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

とんび

 

毎週日曜日、楽しみにしていた番組が先日最終回でした。

 

TBS系の「とんび」

WBCの中継に負けずに(!?)観つづけました。

旭(ヤスの息子)が自分と同世代の設定だったので、余計に感情移入してしまいハマりました。

 

原作者は重松清。

氏の小説は昔から大好きで時折読んでいます。

「流星ワゴン」「カシオペアの丘で」「希望ヶ丘の人びと」など素敵な作品がたくさんあります。

そういえば、「希望ヶ丘の人びと」の主人公は、塾の教室長でした。

 

いつも切なさと温かさでいっぱいになり、気がつけばティシュペーパーの山。

 

それにしても近頃、テレビや本に触れて泣く機会が増えてきた気がします。

もしかして…、歳をとってきたのでしょうか(笑)

 

 

 伸学会衣笠 塾長
yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -
blank