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「生徒」が「学問」を支えている?

「ここじゃ過去なんてものには一文の値打ちもないのかもしれんな」
 
生徒たちにとってはもうすっかり当たり前になってしまっているのですが、私は相当のアニメ好きです。と言っても最近の作品はほとんど見なくなってしまいましたが。上記のセリフは1980年代に流行った某ロボットアニメ劇場版作品の一つです。(当時から見て)近未来である2000年代の東京、昭和の古い家屋が壊されるシーンで登場人物の一人がぼそりとつぶやくセリフです。
最近塾の前にある家屋が取り壊されていました。私の通勤路でも何かの会社だったのでしょうか、ビルらしきものの解体がなされ、ものの一週間たらずで更地になってしまいました。そんな風景を見てこのアニメのセリフが不意に思い出されました。
かと思えば、久しぶりに河原町や京都駅に行ってみると、見慣れない店や建物ができています。京都では高校も公立私立ともに新設、校舎移転などが相次いでいます。きれいで目新しいのはよいことなのですが、ふと「これが建つ前は何が建っていたかな?」と思いだそうとすると、ちっとも出てこないことが多くあります。うーん、単に歳のせいかもしれませんが・・・。
京都は歴史ある街、昔のものが多く残る街、というイメージがありますが、地域によって新陳代謝が盛んなところとそうでないところがあります。そして観光地とされている所は「盛んな」ところと言えます。お寺も神社も祇園の花見小路も、よくよく見ていると修理や建て替えが頻繁に行われています。浄土宗総本山知恩院は現在御影堂の大修理中、下賀茂上賀茂両神社も式年遷宮が済んだばかり。歴史的なものを残すためには細やかなメンテナンスが必要なのでしょう。逆に、メンテナンスがなされていない過去は、前述のように忘れ去られてしまうのではないかな、と思います。
忘れ去られてしまう過去に「一文の値打ちもない」とは言い過ぎかもしれませんが、忘れ去られないためには相応の努力や出費は必要なのでしょう。京都という街が今の地位にあるのはそういった努力とコストの積み重ねの結果と言えます。ただ古いだけでは価値は生まれません。
思えば学問も連綿たる過去からの遺産ではありますが、それもまた常に刷新され、努力して勉強する生徒たちがいるから価値あるものとして今存在しているだとつくづく思います。生徒自身は半分いやいやなのかもしれませんが、それってとても大事なことなんじゃないでしょうか。勉強は本人の進路や将来のため、と同時に学問としてもその価値を維持することに通じる。今必死で勉強しているその学問は、他ならぬその生徒自身が支えているものだと思えば、ちょっとは勉強する意義が見えてくるのではないでしょうか。
 
さて、私もあまり古いアニメ作品を懐古するだけじゃなくて、たまには最近の作品も見てみましょうか・・・?


伸学アルファ北野個別  板原

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