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小中高8年間の英語学習の総日数は67日!?

先日
目から鱗がボタボタと落ちるようなテキストに出会いました。

日頃、日本式英語学習の限界や不毛さについての考察に触れることが多いのですが、
それらを無批判で受け入れる気にもなれないのが
現場の人間の一人である私の率直な態度。

冒頭の通り、ひとつのカウンターに遭遇し、思わずリツイート。
それだけでは気持ちが収まらず(笑)、
翌日付のブログにて取り上げた次第です。

そして先日そのことを伸学会練成クラスの生徒たちにもボソッと伝えました。
いずれの生徒もが相当高い学習意欲がある中で、
私の独り言めいた言葉にちょっとばかり泡を食った感じでした。

さっそくですが、
小中高と英語に割く時間をざっと均して毎日1コマ(1時間)とします(あくまでざっと)。
1年間を52週としても、
長期休暇や学校行事その他を含めると年間約40週とする計算もあります。

となると1週5時間×40週=200時間。
現行の小5から高3までの8年間では8年間×200時間=1600時間。

これを1日24時間で割ると(日数に換算すると)
1600÷24=66.7日。
つまり67日。

この67日という日数が言うまでもなく8年間の英語に割かれる時間です。
日本人は英語を8年間(あるいは中高6年間)も勉強しているのにまったく喋られない、
というよくあるしたり顔の論法が瓦解しましたね。

グローバルリーダー養成という気炎を上げる向きも理解できますが、
学習機会拡充のベクトルに量的不安の劇的解消を盛り込まなければ、
教育再生会議が進む道に実りをあまり期待できないような不安を覚えます。

いたずらに学習時間を増やしても…、どうでしょうか。
件のテキストの結びにも以下のような言葉が付されていました。

現在、小学校5、6年生は週1コマ英語をやっている。
今後、これが小学校4年生にまで拡大されても、やはり週1コマだろう。
とすれば、月に4時間、年間48時間、3年で144時間増えるだけだ。
たった、6日間である。
東洋経済ONLINE6/19付


もちろんここに挙げた数字が学習量のすべてを扱う訳ではありませんが、
個人的には深く考えさせられたテキストとなりました。
英語にお悩みの方や留学をお考えの方は特にご参考までに。

個別アルファ北野・衣笠ブログ『キャッチャーin the アルファ』でも
上記の詳細や関連するテキストを書いています。よろしければご入場ください。

英語を小中高8年間学んでも学習総日数はたったの67日!? 6/20付

個別アルファ北野・衣笠 塾長
北野白梅町個別指導 個別アルファ北野・衣笠へのお問い合わせは こちら から
yururin | 伸学アルファ北野・衣笠【個別】 | - | -

「京料理」考 4

「京料理」考 4 

 [薄味=善]という風潮に疑問を呈したところで、前回は終わっている。今回はおもに味についての考察をしていきたい。
 まず、4つの基本味である「酸味」「甘味」「塩味」「苦味」に「うま味」が加わり5味が味を構成する要素とされている。厄介なのは最後に加わった「うま味」であろう。アミノ酸系の一種であるグルタミン酸(植物由来)、核酸系の一種であるイノシン酸(動物由来)、グア二ル酸などがうま味成分としてあげられる。舌の「味らい」でそれらを感受することもわかっている。さらに、アミノ酸系と核酸系がかけ合わせられると「うま味の相乗効果」となることも知られているところである。昆布と鰹ぶしによる日本料理のだしはその代表例であり、最近では、ラーメンのWスープにもこの技法が取り入れられている。
 このように複雑な5味が重層的に、調和することで味はつくりあげられている。料理において単純に5味を重ねるだけではない証左に、日本料理、とりわけ京料理は味のひき算である、という言葉がある。西洋の料理がたし算の発想なのにたいして、日本料理は完成をイメージしたところからの逆算をする、つまり味をつけすぎないことを旨とする考えである。これは、「うま味(umami)」が東洋の料理において自然と導きだされ、進化させてきたためであり、味の構成の点で西洋のそれとは大きく異なるものである。
 しかし、日本料理がひき算かといわれるとすぐには賛同しかねる。むしろ、日本料理はかけ算なのではないだろうか。「うま味」に早くから気づき、相乗効果にまで深化させてきた歴史は、5味のかけ合わせを第一に考えて深化したと考える方が自然である。食材を組み合わせて味をつけていくというよりは、それぞれの食材の味をふくらませるのが日本料理の特長であるといえよう。
 薄味が善であるかの風潮は、健康志向、もっといえば健康至上主義を背景としたファッションである、と断じてみたい。減塩やカロリーオフにいたっては、5味のうちの塩味と甘味をそぎ落としただけのもので、うま味とはいっさい無関係の話である。さらに、薄味のほうが上品である、などと本気で思っているのなら、本当はしっかりとした味のものを食べたいのに、痩せ我慢しているだけではないかと疑ってしまう。何もいたずらに味を濃くしろと言っているのではない。大切なのは、料理をする側も食す側もうま味を受容する感性を養うことであり、そこを追求することで料理は文化たりうるのではないかと考える。

次号に続く

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yururin | 伸学アルファ衣笠【集団】 | - | -

城崎再訪

 先週末、社員旅行で城崎に行きました。
社員旅行といいながら、家族同伴で、道中も自由行動でしたので、
ほとんど家族旅行をさせてもらったようなものです。

私は城崎が2回目で、最初に行ったのは大学入学直後の春、
今から約20年前のことです。
そのときは大学の仲間とともに、
ヒッチハイクと野宿で旅して、城崎では温泉に入りました。
とはいえ外湯に入っただけでしたし、普段の銭湯暮らしと変わらないせいか、
城崎温泉の記憶はあまりありません。

ただ、その後ヒッチハイク旅行に何度か行きますが、
そのときが人生初めてのヒッチハイクだったので、
その旅のことは鮮明に覚えています。

亀岡市内からスタートしたのですが、
思ったよりも早く、30分くらいで乗せてもらえたこと。
しかし、その後、降りては拾ってもらい、の繰り返しで、
京都北部の山間を抜ける道が永遠に続くような気がしたこと。
親切な人が家に招いてくれて、御馳走していただいたこと。
日本海がやたら綺麗だったこと。
春なのにメチャメチャ寒くて野宿するのに往生したこと。

そういう一つ一つの記憶のほか、当時の心境を思い返すと、
まだ世の中のことがよくわかってないし、未来はどうなるのか漠然とした不安がありました。
その一方、大学に入るまでにはしたことない経験をし、未来も何とかなるのではないかと、
根拠のない自信もあったように思います。

あのときから20年。
今回は会社の仲間とともに、妻子とマイカーで城崎を再訪しました。
一緒に行くメンバーが変わり、貧乏旅行でもなくなりました。
多少は世の中のこともわかるようになり、未来のことも少しは予想できるようになりました。
そして、一番変わったのは、子どもができたときからそうなんですが、
死ぬ覚悟ができたことかなと思います。

しかし、結局、明日の行方などわからないまま懸命に生きていることは変わらないし、
思ったほど大人になっていない気がします。

そうだ、今から20年後、また城崎に行ってみよう。
そのときはどんな旅行になって、何を思うのでしょうか。

伸学会西ノ京 塾長
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yururin | 伸学アルファ出町 | - | -

健康サンダル

以前出町学舎で私が使用していたスリッパが古くなった&冬仕様だったため、スリッパを変えることにしました。

近くの店で購入したのは、298円の健康サンダル。
安価ですがこれ、かなり使えます。

私は個別指導専門ですが、立って指導することが多く、以前は22時を過ぎると足がパンパンになっていました。

しかし、健康サンダルに変えるとあら不思議。22:30を過ぎても足が痛くありません。

痛くて履いてられないという方もおられるようですが、私の場合痛かったのは最初の30分程度、後は歩くたびに心地よい刺激が(今はそれすらも慣れてしまい、何も感じなくなりました)。

家のスリッパも健康サンダルにしようかな…


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城の崎にて


先週の土日に城崎温泉へ社員旅行に行きました。
私自身、城崎温泉は2回目なのです。
ですが10年位前にいったので、
どのようなところだったかは記憶になく
初めてと同じ位、新鮮な気持ちで行けました。

P1050987.jpg

京都から電車・車で約3時間。結構近いのにビックリです。
川沿いにホテル・温泉・お店など並んでおり端から端まで1Km程度。
歩くのには丁度良い距離です。
川柳や川に架かった橋がレトロな感じで良いです。

P1050994.jpg

射的やスマートボールをしましたが、なかなか難しい。
温泉街にないとなかなかやれないですね。

P1050990.jpg

温泉は7箇所あり、私が入ったお風呂は「御所の湯」「鴻の湯」。
露天風呂があり、スーパー銭湯では味わえない風情がありました。

非日常的な感覚を味わえた今回の社員旅行。
来年はどのような旅行になるのでしょう。


科学の学校 塾長
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禁酒の効果

 5月はじめ、わけあって10日ほど禁酒することになった。

とある薬を服用することになって、
「この薬を飲んでいる間はアルコールは飲まないでくださいね」
と、お医者さんにさも当然のことのごとくに命令されてしまえば、飲みたくとも飲むわけにはいかないからだ。

なぜそんな薬を飲むことになったか、薬の副作用で眠れずにどれだけ往生したか、についてはここでは触れない。

とにかく、10年以上も晩酌を欠かしたことのない私が、意思に反して10日ほどの禁酒を断行した。

手が震えたりするのかと怯えていたのだが、禁酒をしても特に禁断症状に苦しむこともなく、酒を飲まないことには意外にあっさりと慣れてしまった。
酒なんか飲まなくても一向に困らない。
酒飲みを自認していたのになんだか肩透かしをくらった感じだ。(笑)

さて、このことを知っている人はほとんどいないのだが、私は尿酸値が高くて、毎日薬を飲んでいる。

なぜ尿酸値が高いのか。

毎日酒を飲んでいるからだ。(笑)

ところがこのたび10日も酒を抜いてしまったので、私としては自分の尿酸値がどうなっているのか気になるところ。

禁酒最終日に尿酸値の薬をもらっている病院を訪れ、血液検査を受けてきた。

その結果であるが、

「尿酸値が基準値を下回ってますね。これなら薬を飲む必要ありません。薬を出すのをやめましょうか?」

というくらいの劇的な変化が。(笑)

わずか10日ばかりとはいえ、せっかく酒をやめたのだから、この際いっそのこと完全に酒をやめてしまえばよいではないか、との内なる囁きも聞こえないではないが、

その気になればいつでも酒をやめることはできるとわかったので、その後も相変わらず酒を飲みつつ薬で尿酸値を下げている。(笑)


  Vキャンパス 塾長
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「気持ち」は「才能」に勝る

 新しく入塾したばかりの小6のTさんが、自らが持参したルーズリーフに「このルーズルーフ、書きにくい」と文句を言っていた。

「ノートは、キャン○スのやつが書きやすいし、お勧めやで。」という私に、Tさんは力強く賛同してくれた。

キャン○スの書き心地の良さを理解しているTさん。これまで相当たくさんの字を書いてきたのであろう。私は「うん。この生徒は必ず伸びる。」と確信した。

一流の職人が道具にこだわるように、勉強の職人であるはずの学生たちにはもっと道具にこだわって欲しいと常々感じている。

筆箱の中身が貧弱(一本だけのシャープペン、しかも替芯なし、丸まっているかペンでつついた穴だらけの消しゴム、インクがかすれた赤ボールペン)な生徒を見ると、「そもそも、消しゴムで消す機会が少ないから、消しにくい消しゴムでも平気だし、丸付けをしないから、かすれたボールペンでも平気なんだ。ノートが書けなくなっても困らないから、前もって替え芯を入れておいたり、予備のシャープペンを入れておこうとしないのだろ?」と毎回熱く語ってしまう。

結局のところ、困らないから道具を充実させようとしないということだ。そんな気持ちがしっかりと出てしまうのが「筆箱」なので、私はつい生徒の筆箱をのぞいてしまうのだ。

勉強にせよ、仕事にせよ、「気持ち」は「才能」に勝る。多くの事例を見てきて、私はそう確信している。
だからこそ、その「気持ち」を大きく育てることが塾人としての大切な役割だと思っている。

保護者の皆様、一度お子様の筆箱をチェックしてみて下さい。そこにお子様の「気持ち」が凝縮されていますよ。

 伸学会北野 塾長
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私塾と政治

先日、久しぶりにある同業者団体の集会に出た。教室を新たに出された塾長がおられたので、改めて名刺をいただいた。それには「〜研究会」なる名称が記してあったので、内容をお聞きした。すると、ある有名な政治家を中心とした関西での集まりということであった。

私はその方に「私の塾は政治に関わることは避けております。」と正直に申した。私は学習塾が政治に関与することに疑問を持っているからだ。大手塾が献金によって政治家に影響力を与えているとのうわさを聞いたりすると、学習塾も大きくなると大企業と何ら変わらないのかと思ってしまう。

それはさておき、私塾の原点は松下村塾や慶応義塾等だろう。創始者達は政治と一線を画していた。私はそれが学校教育とは別の意味での存在価値を生み出したのだと考えている。

そんな折、脳科学に関する本を読んでいて笑ってしまう文章を見つけた。以下紹介する。

 

……だから政治家は嘘つきとされるようになった。当選前はただの人で、それが誠心誠意ものをいう。当選すれば先生で、それは別な人である。それがまた、誠心誠意ものをいう。誠心誠意であるほど、前にいったことと違うことをいうはずである。なぜなら、ただの人と先生は、じつは違う人だからである。しかし本人はそれを「同じ私」だと信じて疑わない。だから嘘つきになったのである。……  
(養老孟司 東京大学名誉教授)

「脳はここまで解明された」
合原一幸 編  ウェッジ選書


入江塾 塾長

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